何の日シリーズ ~2月11日~

こんばんは、福田です。
 
今日は、何の日シリーズです happy01

建国記念の日 

「建国記念の日 政令で定める日 建国をしのび、国を愛する心を養う。」

日本の国民の祝日の一つ、日本国の建国を祝う日。1966年(昭和41年)制定。
世界で建国記念日を法律で定めて祝日とする国家は多いが、何をもって建国記念日とするかは、国によって異なる。
 
日本では、実際の建国日が明確ではないため、建国神話(日本神話)を基に、建国を祝う日として「建国記念の日」が定められた。
当時在位中の昭和天皇は第124代天皇とされ、2月11日は、日本神話の登場人物であり、
古事記や日本書紀で初代天皇とされる神武天皇の即位日が、日本書紀に紀元前660年1月1日 (旧暦)とあり、
その即位月日を明治に入り、グレゴリオ暦に換算した日付である。
1873年(明治6年)に、2月11日は、日本国の建国の日として「紀元節」と定められ祭日となり翌年から適用されたが、
第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)に占領軍 (GHQ)が、日本の文化から国家神道を徹底的に排除しようとする過程で廃止された。
その後、紀元節復活の動きが高まり、「建国記念の日」として、1966年(昭和41年)に国民の祝日となり翌年から適用された。

仁丹の日

「仁丹」を製造販売している森下仁丹が、1893(明治26)年の同社の創業日と1905(明治38)年の「仁丹」の発売日を記念して制定。
銀粒仁丹の前身「赤大粒仁丹」が世に出たのは、日露戦争の最中1905年(明治38年)のことでした。
当時の日本の医療はたいへん貧しく、まだまだ風邪や食あたりで命を落とす人が少なくなかった時代。
創業者・森下博は1895年(明治28年)、出征した台湾で常用されていた丸薬からヒントを得て、あるアイデアを思いつきます。
万病に効果があって飲みやすく、しかも携帯・保存に便利な薬を作れないだろうか。
森下は自ら丸薬の本場・富山に赴いて生産方法を学び、薬学の権威の協力で研究をすすめました。
完成した処方に、さらに丸薬の携帯性・保存性を高めるために、表面をコーティングすることを発案しました。
最初はベンガラであったものが銀箔へと、このコーティング技術は受け継がれることになります。 
 
丸薬をつくるにあたって森下は、まず名前を考えることから始めました。
「仁丹」の「丹」は、古代中国では不老不死をかなえる仙薬として知られていました。
森下は、その「丹」の字に、読みやすく覚えやすい漢字を考えていたところ、「通天閣」の名付け親である漢学者藤沢南岳と、
朝日新聞の論説委員だった西村天囚からのアドバイスをうけ、「仁丹」という名前が誕生しました。
また、シンボルである大礼服マークの由来には諸説あり、一般的にはビスマルク像が図案化されたものと言われています。
しかし、森下の言葉によるとマークは外交官だ、とのこと。つまり「仁丹は薬の外交官である」というのです。
「仁丹」の名前とシンボルマークには森下の「多くの人々に商品を手にしてもらいたい。
広く世界中の人々の健康のために役立てたい。」という想いが込められているのです。
 
「仁丹」の発売からわずか2年後の1907年(明治40年)、輸出部が新設され、まずは中国から海外市場を開拓。
1912年(明治45年)にはインドにボンベイ支店を開設。日の丸を知らないインド人でも「仁丹」は知っていると言われるほどに知名度を上げます。
その後インド、インドネシア、ハワイ、チリ、タイ等、世界で13カ国以上の国に輸出されました。
それと同時に国内では大規模な宣伝活動が行われていました。
新聞広告をはじめとし、大阪駅前や東京神田の大イルミネーション等、広告というだけでなく、都市の新名所作りを意図したものでした。
さらに町名表示がなく家を捜すのに苦労している、という悩みに応え、大礼服マークが入った町名看板を次々に掲げました。
広告においても広く社会に役立つものでなくてはならない、という理念を示したのです。
仁丹の特徴
  • 16種類の生薬が配合された口中清涼剤。
  • 生薬の力が、心と体に穏やかに作用します。
  • 気分のリフレッシュに、二日酔いなどの胸のむかつきや、口臭が気になる時。

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